人はそれぞれ、きかっけというものがあるとは思いますが、私が声優にハマったきかっけというのはテレビ放送が終了したあとにラジオにて聴いていた野球放送でした。
もちろん地方の人間でしたのでラジオでの野球中継も延長などというのはない為、ラジオのダイヤルを回して雑音と戦うしか方法はなく、そうこうしているうちに辿り着いたところが1134文化放送だったのです。
そして野球中継も終了し何の気無しそのまま聴き続けていると突如としてひとつの番組が始まりました。
雑音の悲しい特性のためにパーソナリティが誰なのか。そして番組名すらも聞き取れなかったのですが、雑音をかい潜って聞こえてくるその鮮明で透き通った美声に一発で一目惚れしたのでした。
そして次の週、同じ時間帯にラジオの周波数を合わせて全力待機。そこでようやく判明するラジオ番組。
『週刊アニメージュ飯塚雅弓のまだまだ日曜日だよ!』声優という存在は知っていましたし、それ以前にも普通にアニメを嗜んでいた人間ではあるのですが、
声優を声優として認識したのはこの番組であり飯塚雅弓という声優だったのです。
それから今は亡きアニラジグランプリを購入。当時放送されていたアニラジというアニラジを雑音混じりに聴くという日々を
青春時代として過ごしました。東の文化放送、西のラジオ大阪。
全盛期の飯塚雅弓さんはそれこそ毎日どこかの放送局で声を聴くことが出来るというアニラジの姫っぷりを発揮。個人名義のCDにアニメ出演と
アイドル声優の象徴として90年代末期の第三次アイドル声優業界に君臨したのでした。
『アニメ声優』、『アニラジパーソナリティ』『声優アーティスト』その三要素を兼ね揃えた次世代のアイドル声優が飯塚雅弓さんだと私は今もなお信じています。
しかし、何度も書いているように当時の所属レーベルであるパイオニアの暴走により飯塚雅弓という個人が消耗され2000年を過ぎたあたりから彼女の勢いは衰えはじめ、アニメ声優としての堀江由衣、パーソナリティとしての田村ゆかり、アーティストとしての水樹奈々と三要素が個人へと分断されたのでした。
とはいえ、
彼女のアイドル声優性というのもは今なお貴重な存在だと思っていますし、超ラジが出来た当初に飯塚さんをパーソナリティとして持ってきたことを考えると現状のアニラジにおいて飯塚雅弓というパーソナリティ力は必要不可欠だと思っています。まぁ、今となっては超ラジも
糞の役にも立たない番組に成り下がってはいますけども・・・。
さておき、その飯塚雅弓さんが3月より長年所属していた八重垣事務所からケンユウオフィスへ移籍することをブログにて報告しました。
☆飯塚雅弓のまーちゃん日和☆:ご報告・・・
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それこそ言いたいことは腐るほどあります。
ランティス所属なのにランティス祭りに呼ぶことを一切しない
ランティスへの不満とか、小清水さんと一緒のタイミングで移籍するべきだったとか、書ききれないことはたくさんありますし、10年近くこれを待ち望んで来たファンとしては一言で言い表せない気持ちなのです。
けれども、彼女の人の良さを知っているからこそ後ろ向きに文句を言っても仕方がありません。彼女が決めた人生です。ケンユウオフィスという
非常に微妙なところではあるものの、
在庫ばかり抱える81プロデュースでなかっただけ良しとして、前向きに応援するのがファンというものなのです。
これを期にすぐに何かが変わるわけではないでしょうし何も変わらない可能性のほうが大きいでしょう。
それでも可能性がゼロではないというのであれば、私は最後まで付いていきますし、少しでも彼女を知ってもらえるのであれば扱っていきます。
彼女をきっかけに歩み始めた声オタ人生。
もうちょっとだけ、(特に私に関しては)おこがましい願いではありますが、私と飯塚雅弓さんを見守って頂けるのであれば幸いです。
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のアクセルの出だしは、いまだに日曜の終わりが近づいてきている時の印象風景を構成するパーツですね